何が欲しいのかちゃんと要求すること

Shiro さんの『リスクを巡るすれ違い』を読んで、前からあった「な〜んか話が噛み合ってないよなあ?」というモヤモヤがスッキリした。
http://blog.practical-scheme.net/shiro/20110512-risk
リンク先で挙がってる『リスクをめぐる専門家たちの"神話"』も踏まえて要約すると、国民が行政に求めているのは「限界値は〜mSv」みたいな政治的決断の政治的根拠と責任の所在なのに、行政と専門家は「国民が欲しがっているのは自分が安全かどうかの科学的情報とその科学的根拠」だと思い込んでいるので、話し合いが平行線を辿ってしまうというお話。*1

ただ、shiro さんは

[国民]は、既に知っている事実ばかり並べて、肝心の姿勢についてはぐらかしている、と感じる。

と言ってるけど、むしろ国民がこのすれ違いに自覚的でなくて、「肝心の何についてはぐらかされてるのか」よく分かってないんじゃないかとも思った (少なくとも自分は分かってなかった…)。 例えば『リスクを巡るすれ違い』についたこのコメント:

日本の世間一般では「テレビに出てくる専門家は『大丈夫』としか言わない、信用できない」という空気が流れています。実際、リスク判断以前にそういった判断の基準となる情報を説明せずに「大丈夫」としか言わないわけですから、誰も信用しないし「本音を言ったね!」という反応になってしまうんだと感じます。

確かにこういう空気はあるだろうけど、よく考えたらおかしな話だ。もし専門家が線量のデータとか放射性物質の化学的特性を根拠に示したら納得してもらえるのかというと、「信用できない」とか「そんな説明では必要な事が分からん (意訳)」とか言われ続ける (具体例具体例具体例) わけだから、根拠が示されない事が不信感の根源ではなさそうだ。むしろ、本当の結論は「(多少のリスクを切り捨てれば) 大丈夫」なんだと皆最初からわかっていて、その上で科学的説明があってもなお不満が消えないのは、その結論に至る過程で切り捨てられたリスクと、その切り捨ての政治的根拠や責任の所在がわからないままだから、と考えた方がしっくり来る。それでも「信用ならない」と言いつづけてる人はどっちかというと自分達の不満の正体がよく分からないから、何となく何かをはぐらかされた気分になって、「何か知らんけど何か信用ならん、そうだ嘘を吐かれてるかどうか怪しいんだ、この不信感はそれに違いない」と言ってる気がする。だって本当に「(「大丈夫」という説明が) 信用ならない」なら、それこそ移住とかしてるはずなんだから。

今年初めのエジプトの民衆蜂起についてエジプト人教授がこんな事を言ってた:

The people know what they don't want, but they don't know what they want.

ムバラク政権はもういらないと叫ぶのはいいけど、代わりにどんな政治が欲しいのか要求してない (自分達でも分かってない) から、残念ながら革命は中途半端で終わるだろうと言っていた。行政や専門家からは「『大丈夫』ばっかり言ってんじゃねえ」という主張も同じように見えるのかも知れないし、しかも本当に同じ問題を抱えてるのかもしれない。今回の事故の安全圏の見極めについて国民が聞きたいのは「大丈夫」の台詞じゃない、というのはもう十全に知れ渡っているけど、じゃあ本当は何が欲しいのか、何が足りない気がするのか。要求する側もよく分かってなかったらそりゃすれ違うだろう。そうならないように何を要求するのかよく考える癖をつけたい。

*1:Shiro さんは明言してないけど、私は具体的には政治的根拠というのは下された決断が妥当だと考えられる理由 (= 他の選択肢の吟味の経緯と結果) で、責任の所在というのは決断によって不利益を被る人の補償の要求先と保障体制、決断に不服な人が変更を求める先と、根拠や実施体制に嘘や不正が見つかった時に飛ばす首のこと、と解釈している。