Wiliki:shiro より:創作本能

創作のうち、頭の中身を具現化する部分は本能だとか。確かに所謂天才については、そういう背景を感じさせる逸話がこれでもかというほどある。筋も通っている。でも何だかなあ。自分にはそういう啓示みたいなのが降りてきた事は無いし、ずっと降りてこないだろうという気もある。降りてくる感覚というのも想像もつかない。自分が努力してないのはわかってるけど、経験してないという事実と卑屈な自我があわさって、ただの伝記物にありがちな過剰な美化じゃないのかと疑いたい気持ちばっかり湧いてくる。
むしろ同じ現象を違う体感をしてるだけなんじゃないのか。私はウンウン唸って何かを思いついたとき (勿論これまでのところ trivial なものばかりだけど)、その経過を短期間ならそこそこ思い出せる。それを形にしにくい状況に置かれているならそれを書き留めるか「後で何かしよう」程度の tag を付けて頭にしまい込む。それに対して、お産を終えた女性は分娩中の出来事を脳内麻薬でよく覚えていないそうだが、それと同様に思いつくまでの途中経過を忘れてしまう人がいたって不思議ではない。そういう人が「vision が湧いてくる」とか表現したり、思いついたことを頭にしまい込むことを極端に嫌って何でもいいから表現したくなるのも不思議ではない。
私は基本的に中身が空っぽで skill ばっかり詰め込んでいるし、それを突き動かしているのは「認められたい」「貢献したい」「自己満足したい」という ego だと認めて憚る気はない。それ故に、nurture の占める部分は小手先の技術だけに留まるものであってほしくないとも思う。Paul Graham じゃないけど、天才と自分の間に本質的な差があるとは思いたくない。
…と、shiro さんの記事と少し焦点がズレたわけですが。しかも何か青い響きだね。まあいいや。
ところで gift と talent の違いは "talent" は現に今ある能力、"gift" は生まれつき備わった能力かそのタネ、だと思ってるんですが。OED の "gift" にも "A natural endowment, faculty, ability, or talent." とあるし。それで vision が湧いてくる能力は主に nature, 形にするのは主に nurture と仮定すれば gift が前者、talent が後者でもおかしくないす。でも "talent" でも少し生まれつきみたいな含みはあるよなぁ。Nature-nurture 論争の影響なのか逆なのか。OED には "talent: A special natural ability or aptitude, usually for something expressed or implied; a natural capacity for success in some department of mental or physical activity; {dag}an accomplishment (obs.)." ともあるし。わかんね。(←ちょっと書いてみたことを後悔)